私達はいつからか「境界」というものを
設けるようになったのでしょうか?
まだ人間ではなく獣として生きていたころから
それは目に見えない縄張りとして存在し
生き延びる為に争ってきたことですから
動物の本能と言えるものなのかもしれません。
住む場所の気候などの環境が異なってくれば
発生する文化や風習なども随分と異なってきます。
そうやって民族が積み上げてきた民俗というものは
決して優劣があるものではありません。
ましてやその生活の中で抱いてきた想いや悩み、思想などは
様々ではありますが、不思議と共通するものも多々あります。
民俗的差異があれば、表現方法も自ずから異なって来ますよね。
愛している
という気持ちをそのまま言葉でストレートに伝えるところもあれば
わざわざ遠回しに伝えるところもあるわけですw
それと同じで、
今、沢山のスピリチュアルな情報が飛び交っています。
もちろん、発信する人が異なれば表現方法も異なってきます。
そして目指すべきところは皆同じ筈なのです。
既存の宗教と呼ばれるものは
本当に民俗的なものも加味された上で
表現方法が異なってきているだけで
言いたい事は同じだった筈、本来はw
日本という国の特徴として
曖昧だとかはっきりしないだとか散々な言われっぷりですがw
風土や歴史的な影響もさることながら
森羅万象をとても身近に感じていたことにより
その本来は1つである、ということを
自ずから感じ取っていたのではないかと思う時が多々あります。
神仏習合なんてその良い例だし、
今現在の人生儀礼においてのミックス具合なんて
さもありなん(笑)
はっきりと言うべきことは言わねばならない時代ではありますが
森羅万象がキッチリキッチリ区切りがつけられない事と同じように
人の感情や気持ちもクッキリとした境界があるものでもない、
ということを認めてきたのでしょうね。
だからこそ、今に続く日本文化というものがあるのだと感じます。
時には白黒ハッキリも必要です。
ただ、四季の移り変わりがハッキリとしないように
境界線を引くこと自体が、
私達にとってはかなり無理をしていることなのかもしれません。
みぃ〜んな同じで
みぃ〜んな1つ
とも思っていないのですがw
国や民族や宗教などというカテゴリーは
私達人間がわざわざ勝手に作り上げたものです。
差異を認めながら受容するためだったかもしれないのに
いつからかそれは異なるものになってしまいました。
今、改めてその私達が作り上げた「境界」について
考えても良い頃かも知れません、
本来のグローバリズムということも含めて。
そしてそれはこの国に暮らしていれば、
そんなに難しくないと、思うのです。
